1948年 | 高知県高知市に生まれる |
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1980年 | 洋画家・田川寛一氏、田川絵理氏に師事 独自の世界観による鉛筆画は独学 |
1995年 | 芸大生8人らとグループ「STEP」を結成 |
2001年 | 地元・茨木市でギャラリーカフェ「イタリアの長椅子」を開業 鉛筆画教室「恵子のテーブル」を主宰 ウィスティンホテルで年に約一度展覧会 |
2003年 | 阪急百貨店で個展 |
1948 | Born in Kochi Prefecture Kochi City. |
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1980 | Studies under the western-style painting.Kanichi Tagawa & Eri Tagawa. Studies the picture by an original outlook on the world by oneself. |
1995 | Forms the group with eight university students of the art. |
2001 | Opened the gallery cafe"Itarian couch"in Ibaraki City in local. Presides over the classroom of the picture"Keiko's Table". Does the exhibition once a year at the hotel"Westin Hotel Awaji Island". |
2003 | Did the one-man show in Hankyu Department Store. |
私はずっと絵を描きつづけています。6才上の姉が言いました。生後7~8ヶ月の頃の私は縁側で母の膝の上でおっぱいをのみながら、指についた「よだれ」で障子の摩りガラズに∞をかいてから「ビンビ」と言ったらしい(高知ではビンビは魚のこと)そこから始まって、今は鉛筆画です。30年以上も前までは油絵も描いていました。その頃は息子達も小さく、私も若く、そして貧しい時でした。画材に掛けるお金はありません。偶然出会った絵画教室には、長年油絵でさまざまな賞や肩書きを持たれた方の集まりでした。素人同然の私にとっては眩しい世界です。その中でお金を掛けずに絵を描きつづけることは難しいことです。その当時鉛筆は油絵を描く下絵の時だけに使う画材でした。6Bの鉛筆だけで完成させた絵を描こうとする私に「あなたがいてたら私達のアカデミックな教室のレベルが下がる」と言われていました。ただ主催の田川寛先生はいつもニコニコ笑いながら「あんたの好きにしなはれ」と言って下さっている目がありました。だから、20年近くもその場で頑張ることが出来ました。私以外の人は、美しい色相いで表現しています。構図もさまざまです。私が耳にしたことのない専門用語が飛び交う空間です。そんな時間の中で絵画に必要なほとんどのものを鉛筆画に吸収しました。鉛筆画は独学です。当然、誰も鉛筆画として表現していない時代でしたから色を越えて表現できることがあります。心です。その時のさまざまな心の動きは直に鉛筆の先に届きます。自分でも怖いくらいです。その時の全ての思いをこめて画面に向かうことにより、光は輝き、風は香り、鳥は大空に羽ばたき、水は流れ、猫は愛らしくねむり、人は成り切れるのです。それが私の鉛筆画です。
友人からの手紙 (一部より)
スターバックスでの絵、見させて頂きました。毎回感じることですがおいしいものには砂糖を入れたなかに少しの塩を入れる。その塩にもいろんな味の塩がある。あなたのなかにある神秘的な魔性は誰もが持ち得ない極上の塩と匙加減が体のなかに染みついている。その狭間の攻めぎあいの緊張感がそれぞれの絵のなかに違った空気をかもし出し眼力が凄みとなって重厚な存在感で迫ってきます。あなたのピエロの絵と始めて出会った時、衝撃的でハンパじゃない。ただ物でない。と深い感銘を覚えましたがそれが何かわからなかった。どういう人生を送ってきたのだろう。心の奥に何があるのだろう…と。しかし今は私なりの理解と想像のなかで受け止め生きています。